この世界のことに深刻になりすぎてはいけませんが、現状を知ることは大事だと思います。
知らないと改善しようとか、こういう世界がいいなとか思えないからです。
でも、こんな世界ではダメだ。改善しなきゃいけない、もっといい世の中にならなきゃいけない、と言ってるわけではありません。
それは今を否定してることになります。
不平不満を持ったままで願ったって良くなることはありません。
自分の持ってる思いが外に展開するのですから。
だからといって、愚痴や不平不満を言ってはいけない、というわけではなく「確認しました」で終われば問題ないです(理由は「人生を楽しく送るために」に書きました)が、
そういう思いを持ち続けるのはお勧めしません。
もちろん、そういう厳しい環境を体験することもいい経験ではありますので、何を思おうが自由ですが。
では、ちょっとこれは、と思える現状を知った時どうすればいいでしょうか?
まずは、今いる世界が十分素晴らしいところだということにファーカスしましょう。素晴らしい点に目を向ければそう思えます。
そう思えないのは頭の中の理想と比べているか、過去の記憶と比べているから。
比較がもたらすのは優越感か劣等感なので、幸せでありたいなら比較はやめましょう。
優越感は差別やいじめを呼び、劣等感は自己否定やねたみを呼びます。
だから、今でも十分幸せで、素晴らしい世界で、とてもありがたいと思いつつ、
さらにこんな世界になってもいいんじゃない、まぁならなくても問題ないけど、くらいの軽い気持ちを持つのがいいと思ってます。
ということで、これからご紹介する話を聞いても、
冷静に、現状を認めていただければ、と思います。
怒りや憎しみ、批判などの感情が起きたとしても、そこは
「人間だから仕方ないよね」
と思って許していきましょう。
完璧な人間などどこにもいません。
それが地球の醍醐味ですからね。
まぁ、前置きが長いこと(笑)
では、アムロいきます。違った、本題いきます。
人の能力や特徴には違いがありますが、価値に差などありません。だから差別をなくそうとすることは尊いことです。
でも、過ぎたるは及ばざるがごとし。
過剰な差別反対運動は逆に不幸を生み出すことがある、という話です。
まず、ひとつ。
昔、小人プロレスってコミカルなプロレスがあったのご存じでしょうか?
1960年代にはメインで興業が行われ、女子プロレスが前座だったくらいに人気があったそうです。
マッハ文朱の人気が出たことで、立場が逆転し、メインから前座になりましたが、それでもTV放送されてたんです。
でも、その後TV放送がなくなりました。
差別だ、小人症(障害者ではない)の人を笑いものにしてるのはけしからん。
という人達がいたからです。
でも、それを小人症の方が訴えてきたのならわかりますが、そうじゃないのです。
一部の人権団体から非難があり、テレビ中継されなくなり、最終的に仕事を奪われるはめになったのです。
選手からは、「どうして大きいのはいいのに小さいのは駄目なんでしょう」とか「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という声があったといいます。
同じようなことが、「チビくろサンボ」でも起きました。
あれは子どもながらに楽しいお話だと思っていましたが、今はどこにも本はなく、題名も変わったようです。
これも、黒人の方が差別だと声をあげたのではありません。
実はある日本人の家族が言いだしたことだったと先日初めて知りました。
それは、「高須院長の逆襲」という本が発売5日で絶版になった、という話の中に出てました。
詳しくは「発売5日で絶版へ”ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲”」は何故絶版に?。 百田尚樹氏・長谷川豊氏の出版界・放送界の「放送禁止用語」の話 【虎ノ門ニュース】を読んでいただければ、と思いますが、
現代のマスコミは、たぶん、チビくろサンボのように、抗議を受けたくないために、放送禁止用語とかを作り、過剰に差別用語を使わないようにしています。
もちろん差別や悪口はいけませんが、歴史的事実を伝えるのに、当時普通に使われていた言葉を書くのは必要だったりします。それを差別用語だと、著者に書き直しを要求するのはいかがなものでしょうか。注釈を入れれば済む話です。
だから、高須院長も納得せず、書き直しはしない、それなら絶版にしてくれと、出版社に言ったのです。
実際、問題とされる部分がネットには掲載されてますが、昔のことを回想してる部分なので、当時の差別状況を知るうえで貴重な話だと逆に思います。
しかも、これだって誰かから抗議を受けての話ではないのです。
差別反対の運動家も、差別抗議を恐れて自主規制するマスコミも、ちょっと過剰反応じゃないかと思います。
とにかく、悪意を持って差別を行ってるか、差別されてると感じた当事者からの抗議がない限り、余計なことをしないで自由に発言できる世界が私は好きです。
もちろん、皆さんが今がいいと思ってるのなら、別に私も構いませんが。
なにせ、幻の世界ですから深刻になりすぎる必要はないですし、私もそういう部分にことさらフォーカスするつもりはありません。
たまたま最近同僚との間でミゼットプロレスの話題が出て、
たまたまそのあとに高須院長に興味持ったら、こういう事実を知ったというだけですから。
ただ、高須院長の本は読みたかったです。
ぜひ読んでもらいたいという自信作だったそうですし、絵を描いた西原さんも「一生懸命書いたのに」と残念そうでした。
前作の「ダーリンは70歳」は図書館にあったので、予約してますけど、「ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲」は中古でもプレミアついてとても買えないです。
この過剰な差別反対運動がなくなって、再販されるといいな。
そうそう、スターウォーズのR2D2には小人症の俳優が入ってたそうですが、小人プロレスの方々もプロレスが無いときは、TV局の依頼で着ぐるみの仕事とかしてたそうです。
彼らはただでさえ差別を受けて普通の仕事になかなかありつけないのに、せっかく手にした仕事を失ったのです。
人権擁護団体はその事実を知っているのでしょうか。
当事者から求められてもいないのに、差別だとか言うのはやめましょう。
これは日常の話でも同じですが、
質問や相談されてもいないのに、「あなたはこうした方がいい」とアドバイスしたり、「こういう考えだから苦しむんだ」とダメ出しするのもやめましょう。
いろいろと勉強して理解が深まり、知覚が向上し、視野が広がってくると、他人のそういう部分が見えてくるので、つい余計な口出しをしがちです。
本人は相手のためだと思ってるんですが、
それは相手のためではなく、自分の正義感や優越感を満たすための行為です。
相手が望んでいるか、受け入れる体勢にないと、いくら的確なアドバイスだったとしても、いい結果にはなりません。余計なお世話と思われトラブルの元です。
私も両方の経験があります。言った方も言われた方も。
求められてもいないのにするアドバイスは相手の成長の機会を奪う行為です。
そもそも、
自分で気づかないと身につきませんし、自分から求めた時のアドバイスでないと耳に入りません。聞きたくないのですから。
だから結果的に無駄なのですから、温かく見守りましょう。
いろいろ書きましたが、人間ですから誰でも失敗はあります。
私もそのつもりはなくても他人を不快にさせるような記事を書いておしかりを受けたことがあります。
言葉で人を傷つけたこともあります。やはりそんなつもりはなかったですが。
だから、誰かを責めるつもりは全くありません。そんな資格はありませんし。
ただ、今後に生かしていけたらいいし、世界中のみんながお互いに許し合って、さらにいい世の中になったら嬉しいな、という話でした。
いつものように鵜呑みにせずに参考までに。
P.S 昨日書き忘れましたが、あんでるせんツアーは再び満員となりましたのでご報告しておきます。
知らないと改善しようとか、こういう世界がいいなとか思えないからです。
でも、こんな世界ではダメだ。改善しなきゃいけない、もっといい世の中にならなきゃいけない、と言ってるわけではありません。
それは今を否定してることになります。
不平不満を持ったままで願ったって良くなることはありません。
自分の持ってる思いが外に展開するのですから。
だからといって、愚痴や不平不満を言ってはいけない、というわけではなく「確認しました」で終われば問題ないです(理由は「人生を楽しく送るために」に書きました)が、
そういう思いを持ち続けるのはお勧めしません。
もちろん、そういう厳しい環境を体験することもいい経験ではありますので、何を思おうが自由ですが。
では、ちょっとこれは、と思える現状を知った時どうすればいいでしょうか?
まずは、今いる世界が十分素晴らしいところだということにファーカスしましょう。素晴らしい点に目を向ければそう思えます。
そう思えないのは頭の中の理想と比べているか、過去の記憶と比べているから。
比較がもたらすのは優越感か劣等感なので、幸せでありたいなら比較はやめましょう。
優越感は差別やいじめを呼び、劣等感は自己否定やねたみを呼びます。
だから、今でも十分幸せで、素晴らしい世界で、とてもありがたいと思いつつ、
さらにこんな世界になってもいいんじゃない、まぁならなくても問題ないけど、くらいの軽い気持ちを持つのがいいと思ってます。
ということで、これからご紹介する話を聞いても、
冷静に、現状を認めていただければ、と思います。
怒りや憎しみ、批判などの感情が起きたとしても、そこは
「人間だから仕方ないよね」
と思って許していきましょう。
完璧な人間などどこにもいません。
それが地球の醍醐味ですからね。
まぁ、前置きが長いこと(笑)
では、アムロいきます。違った、本題いきます。
人の能力や特徴には違いがありますが、価値に差などありません。だから差別をなくそうとすることは尊いことです。
でも、過ぎたるは及ばざるがごとし。
過剰な差別反対運動は逆に不幸を生み出すことがある、という話です。
まず、ひとつ。
昔、小人プロレスってコミカルなプロレスがあったのご存じでしょうか?
1960年代にはメインで興業が行われ、女子プロレスが前座だったくらいに人気があったそうです。
マッハ文朱の人気が出たことで、立場が逆転し、メインから前座になりましたが、それでもTV放送されてたんです。
でも、その後TV放送がなくなりました。
差別だ、小人症(障害者ではない)の人を笑いものにしてるのはけしからん。
という人達がいたからです。
でも、それを小人症の方が訴えてきたのならわかりますが、そうじゃないのです。
一部の人権団体から非難があり、テレビ中継されなくなり、最終的に仕事を奪われるはめになったのです。
選手からは、「どうして大きいのはいいのに小さいのは駄目なんでしょう」とか「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という声があったといいます。
同じようなことが、「チビくろサンボ」でも起きました。
あれは子どもながらに楽しいお話だと思っていましたが、今はどこにも本はなく、題名も変わったようです。
これも、黒人の方が差別だと声をあげたのではありません。
実はある日本人の家族が言いだしたことだったと先日初めて知りました。
それは、「高須院長の逆襲」という本が発売5日で絶版になった、という話の中に出てました。
詳しくは「発売5日で絶版へ”ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲”」は何故絶版に?。 百田尚樹氏・長谷川豊氏の出版界・放送界の「放送禁止用語」の話 【虎ノ門ニュース】を読んでいただければ、と思いますが、
現代のマスコミは、たぶん、チビくろサンボのように、抗議を受けたくないために、放送禁止用語とかを作り、過剰に差別用語を使わないようにしています。
もちろん差別や悪口はいけませんが、歴史的事実を伝えるのに、当時普通に使われていた言葉を書くのは必要だったりします。それを差別用語だと、著者に書き直しを要求するのはいかがなものでしょうか。注釈を入れれば済む話です。
だから、高須院長も納得せず、書き直しはしない、それなら絶版にしてくれと、出版社に言ったのです。
実際、問題とされる部分がネットには掲載されてますが、昔のことを回想してる部分なので、当時の差別状況を知るうえで貴重な話だと逆に思います。
しかも、これだって誰かから抗議を受けての話ではないのです。
差別反対の運動家も、差別抗議を恐れて自主規制するマスコミも、ちょっと過剰反応じゃないかと思います。
とにかく、悪意を持って差別を行ってるか、差別されてると感じた当事者からの抗議がない限り、余計なことをしないで自由に発言できる世界が私は好きです。
もちろん、皆さんが今がいいと思ってるのなら、別に私も構いませんが。
なにせ、幻の世界ですから深刻になりすぎる必要はないですし、私もそういう部分にことさらフォーカスするつもりはありません。
たまたま最近同僚との間でミゼットプロレスの話題が出て、
たまたまそのあとに高須院長に興味持ったら、こういう事実を知ったというだけですから。
ただ、高須院長の本は読みたかったです。
ぜひ読んでもらいたいという自信作だったそうですし、絵を描いた西原さんも「一生懸命書いたのに」と残念そうでした。
前作の「ダーリンは70歳」は図書館にあったので、予約してますけど、「ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲」は中古でもプレミアついてとても買えないです。
この過剰な差別反対運動がなくなって、再販されるといいな。
そうそう、スターウォーズのR2D2には小人症の俳優が入ってたそうですが、小人プロレスの方々もプロレスが無いときは、TV局の依頼で着ぐるみの仕事とかしてたそうです。
彼らはただでさえ差別を受けて普通の仕事になかなかありつけないのに、せっかく手にした仕事を失ったのです。
人権擁護団体はその事実を知っているのでしょうか。
当事者から求められてもいないのに、差別だとか言うのはやめましょう。
これは日常の話でも同じですが、
質問や相談されてもいないのに、「あなたはこうした方がいい」とアドバイスしたり、「こういう考えだから苦しむんだ」とダメ出しするのもやめましょう。
いろいろと勉強して理解が深まり、知覚が向上し、視野が広がってくると、他人のそういう部分が見えてくるので、つい余計な口出しをしがちです。
本人は相手のためだと思ってるんですが、
それは相手のためではなく、自分の正義感や優越感を満たすための行為です。
相手が望んでいるか、受け入れる体勢にないと、いくら的確なアドバイスだったとしても、いい結果にはなりません。余計なお世話と思われトラブルの元です。
私も両方の経験があります。言った方も言われた方も。
求められてもいないのにするアドバイスは相手の成長の機会を奪う行為です。
そもそも、
自分で気づかないと身につきませんし、自分から求めた時のアドバイスでないと耳に入りません。聞きたくないのですから。
だから結果的に無駄なのですから、温かく見守りましょう。
いろいろ書きましたが、人間ですから誰でも失敗はあります。
私もそのつもりはなくても他人を不快にさせるような記事を書いておしかりを受けたことがあります。
言葉で人を傷つけたこともあります。やはりそんなつもりはなかったですが。
だから、誰かを責めるつもりは全くありません。そんな資格はありませんし。
ただ、今後に生かしていけたらいいし、世界中のみんながお互いに許し合って、さらにいい世の中になったら嬉しいな、という話でした。
いつものように鵜呑みにせずに参考までに。
P.S 昨日書き忘れましたが、あんでるせんツアーは再び満員となりましたのでご報告しておきます。