5月18日。
朝起きてPCや携帯をチェックするが、メッセージもメールも来ていなかった。
きっと鉄さんの状態は改善したんだろう。そう思うことにする。不安な気持ちは残っていたものの、出かける準備をした。
車で鉄さんちに向かう途中、松屋でカレー弁当を買う。オリジン弁当の予定だったが、少し遠回りだし、急遽変更した。
もしかして、病院に運ばれてたりしてないだろうか?
そんな思いが脳裏をよぎる。
便りのないのは元気な証拠、と自分に言い聞かせるが、不安を払拭するには至らなかった。
11時少し前にはいつもの駐車場に着いた。鉄さんに電話する。
「ただいま電話に出られません」
やはり、家にはいないのか? もしかしてヤバイ状況なんじゃないのか?
急速に鼓動が早まる。
それでも、とりあえず行くしかない。橋を渡り、マンションの手前でもう一度電話する。
呼び出し音が何度も鳴る。やはり出られないのか、と思った瞬間、声がした。
「はい」
鉄さんだった。声に力はないが、昨日よりは全然ましな感じだ。
「ケンタです。今家にいます?」
「いますよ。すみません、さっき出られなくて」
「良かった。もしかしていないのかと思いました。もう目の前まで来てるんですが」
「お待ちしてます。鍵は開いてますから」
無事だったのがわかり、ホッとしながら、マンションの階段をあがった。
「こんにちは」
ドアを開け、リビングまで入る。鉄さんはいつもの場所に座っていた。
私の顔を見ると、昨日はすみません、と話しだした。
「ケンタさんに『行きますよ』って言われた時は嬉しかったんですけど、ちょっとせっぱつまってて、お断りしてしまいました」
ここで奥さんが口を挟んだ。「わたしはケンタさんに来て欲しかったんです。ケンタさんが来ると主人は元気になるんで。だから、どうして断るのって言ったんですけど」
私に会うと鉄さんが元気になる、それを聞いて、とても嬉しくなったが、鉄さんの次の言葉でようやく私は自分の過ちに気づいた。
「いや、もう昨日はいよいよダメだと思って、死ぬ前に家族に言いたいことを話さなきゃって思ったんです」
「・・・・・・中旬が危ない、なんて伝えるべきじゃなかったですね。すみません」
非常に申し訳ない、またやってしまった、と自分を責め始めたのだが、鉄さんは首を横に振った。
「いや、あれはかえって気持ちが楽になりました。こうなる運命だったんだ。仕方ないんだって。だから教えていただいて良かったんですよ」
「そうでしたか」
その言葉で私も少し気持ちが楽になった。
「それで昨日の夜、娘二人も呼んで、今まで言わなかった僕の病気の話をしました。ガンだってことを。もう死ぬかもしれない。明日生きている自信がないって。そして、家族全員に思ってることや伝えたいことを全部話しました。妻も子供もみんな心を開いて思ってることをぶちまけてくれて、みんなで話してみんなで泣きました。家族がひとつになって良かったですよ」
そんな時にのこのこお邪魔しないで良かった。行かなくて正解だったのだ。
鉄さんと奥さんは以前、上の娘さんのことをいろいろ心配していたし、そのあたりの話もできたんだろう。
「そのあと、9時過ぎてから、息が苦しいどころか、まともに呼吸出来なくなってきて、いよいよ死ぬのかって思った時、妻がランランさんに電話してくれたんです」
「救急車じゃ間に合わないって思って、とっさに電話したんです」と奥さん。
「島野先生には電話しなかったんですか?」
「えぇ、その時はランランさんしか頭に浮かばなかったです」
「『すぐに遠隔ヒーリングしてくれるって』と妻に聞かされてから、15分くらいしたら、少し息が吸えるようになって、30分くらいしたらだいぶ楽になったんですよ」
鉄さんが目を丸くしながら話すと、奥さんがあとを受けた。
「そしたらランランさんから電話がきて、『もう呼吸は大丈夫でしょ』って、『はい』っていうと、『あともう少ししたら、もっと楽になりますから』て言われて──」
今度は鉄さんが続きを話す。
「それから30分くらいしたら、もう普通に息が吸える状態になったんですよ。ランランさんがいなかったら死んでたと思います。本当に助かりましたよ」
「そうだったんですか。いやぁ、昨日10時前にランランさんからメールがきて、カイトさんやキリンさんにも連絡して祈ってはいましたが、まさかそこまで危ない状況だったとは知らなかったです。でも、その後連絡ないし、大丈夫なんだろうとは思いましたが、もしかしたら、既に病院に運ばれてるんじゃないかとも思ってました」
「あの時もお祈りしていただいてたんですね。いつもありがとうございます」
「いえいえ、しかし、ランランさんのヒーリング凄いですね。いやぁ良かった。あっそうだ」私はリュックを開けた。「これ、桃のジュースです。あと桃の種。どうぞ」鉄さんにたくさん種が入った手のひらサイズのビニール袋を二つ手渡した。「背中用とお腹用です。小さな巾着袋とかで首から提げたらいいと思います」
「これが桃の種ですか。小さなアーモンドって感じですね。ホントにありがとうございます」
奥さんにはジュースを手渡し、小さな袋三つはテーブルに置いた。
「一袋二個ずつですけど、奥さんやお子さんの分もありますので、良かったらもらってください。お守りですから」
「すみません、いろいろと。ありがとうございます」そう言って奥さんはジュースを冷蔵庫に入れた。
その時私の携帯が鳴った。ランランさんからのメールだ。
「女性陣は集まってファミレスで食べてから12時頃に行くことにしたそうです。私も良かったら一緒にどうかって」
そこで、もう鉄さんちにいて、弁当も買ってあることを伝えた。
「良かったら冷めないうちにどうぞ食べてください」と鉄さん。
「わかりました。途中松屋があったんで、カレーにしちゃいました。あそこは化学調味料無添加なんで、気に入ってるんですよ」
「僕も松屋のカレーは結構好きですよ。化学調味料無添加は知りませんでしたけど」
「ファーストフードでは珍しいですよね。ではいただきます」
鉄さんはうどんを少しだけ食べた。やはり食欲はあまりないようだ。ネクターは美味しいと飲んでくれていた。
食事が終わってお茶を飲んでいると、インターフォンが鳴った。
「どうも~ランランです」
元気いっぱいの声とともに女性陣が入ってきた。ランランさんを先頭に、キリンさん、デンバーさん、サツキさんのモンサンズが続く。モンサンミッシェルで一緒だった過去世を持つ三人は自分達のことをモンサンズと称していた。今日は全員集合だ。
車で迎えに行くつもりでいたのだが、バス停からそれほど距離もないので歩いてきたとのこと。
みんなお土産のお菓子を持ってきている。
「そんなお土産までいらないのに」
恐縮する鉄さんに、ランランさんがからかうように言った。「何いってんの。あなたじゃなくてお子ちゃまに買ってきたんだから」
みんな笑った。部屋の中が一気に和やかな雰囲気に包まれる。
とりあえず一息つくために、テーブルに座ってお茶を飲みながら、みんなで少し話をした。
「最初なっちゃんから電話があったんだけど、泣いていたんでよく聞き取れなくて、『落ち着いて。もう一度ゆっくりお願いします』って言ったの。鉄さんが息ができなくなってるっていうんですぐにヒーリングに入ったのね」
ランランさんから夕べのいきさつを聞かせてもらって、さらに詳しい話がわかった。
私は女性陣にも小分けした桃の種をあげたが、みんなきょとんとしていた。お守りになるとか普通聞かないから当然だろう。
そのあとヒーリング会となる。
鉄さんを隣の部屋の布団に横向きに寝かせる。
「てっちゃん、今、何が望み?」ランランさんが尋ねる。
「仰向けに寝たいです。あと寝返りが打てるようになりたいです」
苦しくて痛くて仰向けになれず、寝返りをうつこともままならないようだ。
「わかった。ヒーリング終わったらできるようになりますからね。今日は528Hzチューナーも使いますよ」
「僕も持ってますよ」と鉄さんが言う。
「じゃぁ、なっちゃん、あなたはてっちゃんのチューナー使ってね」
チューナーとは治療用の音叉のことだ。他にも持ってる人はそれを鳴らして鉄さんに向ける。
私は持ってないので、足裏マッサージをした。
「ケンタさん、いいですね。そこは任せました」
「昔台湾式の足裏マッサージを習ったことがありまして。でも痛くしないようにやります」
ランランさんにそう答えると、デンバーさんが言った。「ケンタさん、温熱療法とか足つぼマッサージとか、いろいろできるんですね」
「本当に。意外だわ」とサツキさん。
「いや、資格とかは持ってないので、大したものではないです」ちょっと恐縮する私。
台湾式は英国式に比べて痛いのが特徴だが、これ以上鉄さんに痛みを味あわせたくないし、あまり強くやるともみ返しがくるので、ツボに効かせる程度にとどめながら、指圧していた。
そのうちランランさんはチューナーを別の方に渡して前回同様両手でサーチしながらヒーリングを始めた。
「てっちゃん、みけんあたりに怪我したことがあるでしょ。鼻の上の部分かな」
「えっ、みけんですか?」鉄さんは一瞬間をおいて言った。「確かにありますが、中学生の頃ですよ。今思い出しましたけど」
「エーテル体にその記憶が残ったままです。清算すべき思いが残ってるようですよ」
「そうなんだ」鉄さんは驚きの声をあげた。「実は、中学の時、仲のいい友達がいたんですけど、そいつを怪我させてしまって、そのあと、仕返しで殴られて鼻血が大量に出て止まらなくなって病院に行ったことがありました。それから疎遠になって・・・・・・」今度は悲しそうな顔になる。「地元なんで、たまにばったり会うことがあるんですけど、お互い敬語で未だにそのギクシャクした感じを引きずったままなんですよ」
「その彼ね。鉄さんに悪いことしたって思ってますよ」
「最初怪我させたのは僕だし、僕も悪かったなとは思ってるんですけど・・・・・・」
「じゃぁ、今度会ったら、あの時は悪かったって謝れば、向こうも謝ってきて仲直りできますよ。でもまず、心の中で彼に謝ることです。そして許すことです。それが一番大事です。そうしてないからてっちゃんは忘れていても、エーテル体に傷として何十年も残ったままなんです。もう水に流しましょう」
「わかりました」
「あとね、膝も怪我したでしょ」
「膝? あぁ、東京マラソンに出ようと去年練習してたんですけど、膝が痛くなって断念しちゃったんです。出たかったんですよ」
「足首にも残ってますよ。左です」
「足首?」鉄さんは少し考え込んだ。「あ~、幼稚園の頃、オヤジの自転車の荷台に乗ってて足が車輪に挟まって病院に行ったことがありましたよ。いや、完全に忘れてました。左だったかどうかは思い出せないですけど」
「その時とても痛かったでしょう。お父様も凄く自分を責めたようです。その頃の自分に『痛かったね。でも、すぐ治るから大丈夫だよ』って言ってあげて、お父様にも『お父さんのせいじゃないよ。ただの事故だよ』って言ってあげましょう」
そんな小さい時の傷がエーテル体にはまだ残ってるとは。体は癒えて、頭は忘れても、心の傷は癒えないままということか。私も怪我ばかりしていたから、思い出しては慰め、謝り、許してあげるということをした方が良さそうだ。
そして、あっという間に夕方になった。鉄さんは仰向けに寝られるようになり、寝返りも自由にうてるようになり、声も普通に元気な状態に戻ってとても喜んでいた。
「てっちゃん、今ポロシャツ着て会社の人と話しているビジョンが見えたわ。きっと未来のタイムラインだと思う」
「そうですか。嬉しいです」
鉄さんの久し振りのまん丸笑顔を見れて私も嬉しくなった。「良かったですね。これから元気になるってことじゃないですか」
きっと危険な中旬は乗りきったってことだろう。
それにしてもランランさんのヒーリングには驚かされる。遠隔でも呼吸機能をあっという間に改善させ、歩くのもままならない体を普通の状態に戻し、本人が忘れていた過去の傷までわかる、というのだから。
「本当にありがとうございました」鉄さんは布団の上で正座して頭を下げる。
ランランさんも鉄さんの前に座り、彼をハグして言った。「てっちゃん、いつでも苦しい時、痛い時は電話していいんだからね」そこまで言うと泣き出した。「我慢することないんだからね」
鉄さんも泣きながら、ありがとうございます、と言っている。どちらも号泣だ。
続いてキリンさん、デンバーさん、サツキさんも同じように座ってハグしてやはり大泣きしていた。
私はなぜみんなそんなに泣いているのか正直よくわからなかった。きっと女性だからだろう、とその時は思ったのだが・・・・・・。
鉄さんに関しては、最近ちょっとしたことで涙するようになっていたから不思議ではない、と考えていた。
ちなみに私は、彼にハグすることもせず、泣くこともなかった。
明日も会えるし、という気持ちがあったからかもしれない。
みんなソファーに戻ったが、キリンさんはこのあと予定があったので、「お先に」と言って帰ろうとした。それを鉄さんが呼び止めた。
「ちょっと待ってください。最後に写真を撮りましょう」
16度目に鉄さんに会ったこの日の夜、元気そうに満面の笑みをたたえた鉄さんを先頭にソファに座る女性陣の姿が、ミクシィのつぶやきにアップされた。私は一番後ろに小さく写っていた。
これを見て、みんなは彼が順調に回復してると思ったことだろう。前日死にかけていたなんて誰も想像すらできなかったはずだ。
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君といつまでも 30
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