合気道の開祖、超人とも言える植芝盛平の弟子14人が師について語った本です。
合気道とはどういうものなのか、開祖はどういう人物だったのか、ということが、ある程度わかった気がします。結構スピリチュアルですね。
では、一部紹介します。
(弟子の言葉と開祖の言葉がごっちゃになってますがご了承ください)
佐々木の将人(まさんど)さんの話が最初に載ってましたが、この方とサイ科学者の関英男先生との対談本「心は宇宙の鏡」を読んだことがありました。
この方は中村天風先生に師事し、天風先生の薦めで植芝先生の元で合気道を学んだそうです。
天風先生と植芝先生はどちらも認め合っていたそうですが、直接会ったことはなかったと佐々木さんは言ってました。
ヨガと合気道を極めてどちらも真理に到達した日本の偉人二人から直接学んでたなんてうらやましい人ですね。
でも、30歳の時、スパイ学校作ってCIAに追われて逃げ回ったりしてたそうです。
植芝先生は「今、新宿駅に本部を訪ねようとしている人がいて、15分くらいでくる」
とか言ったりしてたそうです。
「人間は神の子だから、修行するとそこまでいくんですよ。天風先生だって財布の中身を何円何銭まで当てたり、誰がいつ死ぬかまで当ててましたよ。本人には絶対言わないけどね」
先日の孫のエピソードはこの方の話でした。
それ以外は私の知らない方でしたので、エピソードだけ書き出します。
「大先生は怒る時はものすごく怒るのですが、あとはサラッとしていて、『大福買ってきましょうか』と聞くと、すうっと、『うん、頼むよ』って感じで。無邪気なところがあったね」
「毎日反復してやることが極意」
「無理な動き、無駄な動きをせず、ムラのない稽古をすること、の三無が大事」
「合気道には勝った、負けたがない。他人と自分を簡単に比較しない」
「説明はなく、パッと技をかけられて『こんな風になるんじゃ』で帰っていく」
「普段は非常に温和でしたが、世話をする時となると、普通の我儘なお爺さんという感じでしたね。とにかく天衣無縫で、気が変わるのも凄く早くて、良く右往左往しましたね」
「合気道は植芝盛平先生によって作られ、植芝盛平先生の死によって消滅した」と大山 倍達は言ったとか。
弟子はそれぞれの解釈で師の一部を受け継いでいるだけだ、というような意味です。自分で技の解説や名前など残さなかったので、全部の技を把握してる弟子はいないそうです。時代によって技も変わっていったとか。
道場では見せない実践的な技を軍隊では見せていたりもしていたそうです。
「『技は考えるな』と言われて、どうやるかは教えないわけです。だから私は開祖に投げられた時の状態を感じて、すぐに起き上がってまた投げられる」
「考えるな。感じろ」とはブルースリーのセリフですが、その前に植芝先生も言ってたんですね。
「開祖の言葉というのは色々な神様が出てきて、開祖にお告げをしているんです。その一つは『合気は愛なり』という言葉です」
「開祖は『型を破り、型を創造し、生成発展させていくのが武産合氣である』とお話しています。『これが合気道だ』と決めてしまってるから、そこから伸びない」
呼吸力とは、いったいどういうものなんでしょうか?
「相手の触ったところに任せて一体化するということです。力を抜くことによって相手の力がどちらに向いてるか、引くか、押すか、それがすぐ判る。もう後になってくれば、相手が触れただけでそこに技が出てくる。力で押してるうちはぶつかってしまって駄目ですよ。
大先生は『合気道には型はない、魂だ』と言っておられます」
「相手と一緒になり溶け合う。これには心の状態が問題ですね。相手に敵対心があっては絶対無理です。
力を抜くだけでは駄目です。意識を残しつつ相手に任せるわけです。開祖の手も柔らかく、力を感じさせませんでしたよ。
霊肉一体ですが、霊を主体にして行う。それが大事だと思います」
「『敵を無くする』『世界を平和にするのはこの合気道である』『武道に宗家はないんだ』ということで一人ひとりの魂の稽古だと思います」
最後の内弟子となった柔道出身の方は、80歳を越してた開祖に手刀を立てて半身に構えて「押してみろ」と言われたそうですが、いくら力を込めて押してもビクともしなかったそうです。
「心身の力に自然の力を合わせて、その運動性を一体化することで、偉大な力が生まれたのでは、と解釈しています」
「合気会の面白いところは『こうしろ』という教え方、強制をしない。だからみんな個性がある」
「合気道は闘争技術、人を倒すためじゃない」とわかり感覚を変える必要が出てきて行をいろいろやった方の話です。一日中、木剣を振ったり、座っていたり、山を歩いたりしたそうです。
自分を忘れるために。
「自分で『こうやれば上手くいくな』と考えてやったことは必ず失敗する。だけど、木剣を一晩振った中でハッと思ったことは意外と生きるんです。頭で先に考えたら駄目」
「自分ができちゃったと思った人は落ちる。まだ出来てないと思うから自分で工夫して変われる」
合気道の感性とは?
「やっぱり一番自然であり、頭を空っぽにして身体が自然に動くことから始まるんじゃないかな」
行は必要?
「行というか、なんでも徹底的にやり抜くことが必要」
いつ頃から変わったんでしょうか?
「やっぱり人を倒すとかじゃなくて『楽しくやりましょう』とならないと駄目だね。『和をもって尊しとなす』だよ」
「ぱっと立った時に相手を包み込むような、それが大先生にはあった。欲を抑えて己を捨てれば自由になるでしょ? その部分が無ければいつまでも駆け引きの世界。なぜ合気道には試合がないかといえば、『それが必要ない無の境地を作りなさい、それができますよ』という話だから」
「寝ていても大先生の立ってる姿が出てきて、そこからいろんなことが頭に流れて、だから私の中では大先生はまだ亡くなられていないんですよ。側にいるだけで楽しくなる先生でしたね」
かなり気難しいというイメージがありますが。
「えぇ、すぐ怒るからね。だけどすぐニコニコされる」
「最高の教え方とは、最高のものを見せること。やってる姿、雰囲気を見せること。どう投げるなんていう方程式じゃないんですよ」
「大先生のお話でよく覚えているのは『爺には弟子は一人もいないよ』って言うんだね。こっちは弟子だと思ってるんだけど。でも、『仲間は一杯いるよ』って言うんだよ」
「開祖の気合いは、まず弓をグッと引き絞るような一瞬吸い込む音があって『ィエェエィッ!』という引っ張る感じで、直線じゃない声、螺旋の声なんだね。腹が回転して声が出てる」
「自分が成長して変わらないと弟子は成長しない。『私はこうやるけど、あなたは自由だよ』と変わった。みんな身体も心も違うから同じことはできない」
開祖は変わりましたか?
「見た目では判りませんね。ただ一度稽古で『ごめんなさい。昨日教えたのは間違えていました。夢で神様に怒られました』と言うんですね。
で、やってみせてくれるんだけど、どこが違うのかは判らない。たぶん精神的になかがどんどん変わってるんでしょうね」
「合気道ってなんだろうって考えたら、結局自分を知るということ、生きるということでしょうね」
「学生が『もう少し一つひとつの技をじっくりやって覚えたい』というわけですが、大先生は『覚えるな。忘れろ』と仰るわけです」
「和の武道といっても、相手に合わせるのではなく、力を出し合う中で生まれる和が本当だと思います。どこかで妥協した結果生まれる和は偽りの和じゃないかと思いますね」
最初はケンカが強くなりたいとかで開祖の古事記や神様の話などさっぱりわからなかった人が多いようですが、年とともに精神面に目覚めていったようです。
「最初は甘味が好きでも、酸っぱさの味を知り、苦みを覚え、渋みがわかるようになって、最後は無色透明、どちらでも間に合うものになる。それが理想ですね」
晩年の開祖は一線を退いていながら、実は教えたくてたまらなかったようで、戸口のところで声かけられるのを待ってたりしてたとか。その頃は全然怖い存在じゃなかったそうです。
「『大先生、どうぞこちらへ』と言うと『いやいや爺にはもう構わんでくれ』なんて言いながら嬉しそうに入ってきてね。それがこんな言い方すると不遜な感じなんだけど可愛いんだよ、何とも言えず」
ただ話は長く、やはり技の説明はなかったようです。
「古事記の難しい話と、あとはパッと投げて『こうじゃ』と。ただ『合気道は毎日毎日変わるんじゃ』とよく仰ってましたよ」
昔は激しく直線的で固かったものが晩年は円の動きで軽やかになっていったそうです。それには古神道や大本教の影響もあるようです。
戦前は柔道、空手、剣道、ボクシング出身者が多く、戦後は天風会(中村天風)や西医学(西式健康法)の人達が入ってきてたようです。
教わるんじゃなく、自分が受けて、その技を盗む、という感じで稽古してたそうです。
開祖は彫りが深く目が紫や青のように見え、修行者のようだったとか。仙人のようだと言う方も武士だと言う人もいましたね。とにかく存在感がハンパなく、顔に惚れた人も多かったようです。
「この世の中は全て法則がある。だから形を覚えて形をやるんじゃない。形をやることによってその形を存らしめてる法則を自分でドンドン身につけていくんですよ。で、その法則は何にでも応用できる」
「合気道は形ではなく、形から生まれたダイナミックな気の流れという訓練法ですよ。気の流れっていうのは生命エネルギーの流れとも言えます」
剣や槍について。呼吸法。対象に囚われずに同化する。螺旋の動き(技にも呼吸にも修行の進み具合にも共通する)など興味深い話はたくさんありましたが、この辺で終わります。
合気道、深いです。
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開祖の横顔
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