第9回宇宙塾は、マナカリアリティ祭りでした。
1~3をダイジェストで復習したあと、4までぶっ続けでやりまして、食事のあと、オフレコトークというスケジュール。
オフレコにするのは迷惑がかかる人がいるためですから仕方ありません。
直接お会いしたらお話できますが、ネットには公開できないのです。
あと、4についてはまだ弥栄塾でもDVDが出てないということなので、まだ公開できませんが、3についてのみご紹介します。
解説がないとなかなかわかりづらいとは思いますが、簡単な補足だけ書きます。
ちなみに、マナカは、時と場合により、同じ質問に対し、違う答えをしますから、これだけが真実だということではありません。
あなたとは?
観ているものである。
わたしとは?
見られているものである。
真実とは?
禁断の果実である。
苦しみとは?
人間の証明である。(苦しみを喜びに変えられるのは霊性を持った人間だけ)
悲しみとは?
慈しみの対極である。(慈しみがなければ、悲しみもない)
楽しみとは?
人間の責任である。(楽しんでないとすれば、無責任である)
喜びとは?
成長の宴で、命の開花である。(苦しみと悲しみは、喜びと楽しみと一対で、表裏一体)
悩みとは?
今にいないこと。(いるべき今にいないから悩む)
迷いとは?
ここにいないこと。( いるべきところにいないから迷う)
幸せとは?
今ここにいれること。(あなたの判断と選択でここにいる。その味わいが幸せ)
恐れとは?
あるべきではないもの。(恐れはない。妄想。赤ちゃんはおっぱいが飲めないかもと恐れたりしない)
怒りとは?
もつべきものではないもの。(怒りはある。でも、持たずに手放せば怒る必要はない)
不安とは?
虚無にいること。(虚像の世界にいること)
心配とは?
虚無に向かうこと。
安心とは?
虚無から脱出すること。(あなたと一緒にあなたが居ること)
平安とは?
空っぽになること。(空っぽとは、無ではない。空の世界は常に満たされている)
煩悩とは?
悟りの正体である。(悟りたい意識は、煩悩)
悟りとは?
煩悩の実体である。(世の中がよくなる為の悟りならいいが、悟りは通過点。目的になると究極の煩悩)
祈りとは?
月の円盤である。
願いとは?
太陽の船団である。
誓いとは?
星の御神輿である。
思いとは?
宇宙の記憶である。(思いと言葉と行動がそろうと、三位一体であり、オミゴトである)
解脱とは?
宇宙人になること。(地球人でなくなるという意味ではない。神の視点、宇宙的視点で地球を観れるようになること。悟りは否定しないが、輪廻の輪から、無常な世界から脱するのに、悟りは必ずしも必要ではない)
見えるものは無い。見えるものは、かつてあったもの。もしくは、やがて無くなるもの。
この世界の終わりは、あなたの始まりである。すべて一つである。
以上ですが、最初の3項目だけ少し詳しい補足説明を書きます。
現代人は「どう見られているか?」ということを気にします。
気にしすぎていると自分から行動できなくなります。
「見られている世界」を気にするということは「鏡の中の自分」なので、「自覚なき奴隷」です。
観たいものを見てるのが「あなた」
人の視線を気にしているのが「わたし」
「自分の姿・形」を生で360度全部観られますか?
例えば「手」は観られる、「足」は観られる。
でも、「目」は「後頭部」は観られますか?
わたしを観ることはできない。つまり「わたし」はいないんです。
「あなた」しかいないんです。
しかし、その「あなた」は自分の反映です。
「あなた」は「わたし」なんです。
「わたし」と「あなた」が別々にいるから議論が起き、否定と非難が始まり、戦争になります。
「わたし」がいないと理解すると「あなた」しかいないので、
「どう見られているか」というのは一切気にしません。
「あなた」という「わたし」がやりたいことだけに集中します。
あなたの視点で、感性で、感覚で、物事を捉えることができるようになります。
真実という果実は、真理となって必要な時に自分の元に落ちてきます。その時初めて自分のものになります。
真実を取りに行くということは自分が偽りだと言ってるようなもの。真実はあなたがいる場所に実るものです。取りに出かけて行ったら、ここに落ちてきた時受け取れますか?
だから、真実を追い求めてはいけません。
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マナカリアリティ3
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