久々に素晴らしい本に出会いました。友人が読んで感銘を受けてたので、図書館で探したんですが、置いてなくて、どうやら絶版本のようでした。
でも、その友人とすぐに会う機会があり、2週間後に別の機会でご一緒することがわかり、本を借りることができたので、ラッキーでした。
サブタイトルは
~スーフィーの教え~
です。
スーフィーとはイスラム教の中の密教のようなものだそうです。
4,5年前にスーフィーという名前を知り、どうも素晴らしい教えらしい、とか、回転の踊りがあるらしい、ということくらいは知ってましたが、詳しいことは知らないままでした。
ダンスで悟りへの道を追求しているのは千賀さん(タオの暗号、ガイアの法則)の「わの舞」がありますし、シャーマンも踊りながら変性意識へ入って仕事したりします。
興味があったのですが、今まで知る機会がありませんでした。
宗教といっても、チベット仏教のゾクチェンの教えのように、スーフィーも誰か教祖に盲信したりするものではなかったです。
神は全てで、神しかいないし我々は一つ、という教えなので、人種や宗教は関係なく、本気で道を求める者には門を開きます。でも、実際は宗教弾圧にあっていて、おおっぴらに集会を行ったりできないので、著者もなかなか師に出会うことはできませんでした。
教え自体は最近のスピ系で言われてることに通じる内容ではありますが、知識で知っていてもそれは本当の意味ではわかってるとは言えません。
それを体験するのにどういうことが必要なのかを著者の探求への旅を通してこの本は示してくれます。
この本の主人公は元々イギリスのヒーラーでした。
でも、スーフィーの修行者はもっと凄いヒーリングを行えると知り、最初はそういった目的で情報を探していました。
(ちなみに、修行者をダルヴィッシュと言います。ダルヴィッシュがメジャーリーガーになるためアメリカに渡る時に麻の葉模様のTシャツを着てたことを思い出しました)
そこでようやくあるトルコ人に出会います。
彼が本気で求めていることを見極めたのちに、師は全部今の仕事や家を手放してトルコに来るように行って先に帰国します。
そこから彼の冒険とも言える波乱万丈の物語が始まります。
主人公はそれまで講演したりするくらいの人でしたが、自分の学んだものをいったん全部捨てない限り、新しいものは入ってきません。それができるまで何度も試練に失敗します。
彼は神秘体験を求め、頑固で、師のいうことが理解できず、不信を抱く時もありました。
厳しい師匠に、ヨガナンダさんの師匠が思い起こされました。どちらも元々とても優しい人ですが、弟子の成長のためには厳しい態度をとることもあるのです。
神に信頼するとは、何も心配する必要はない、と確信することです。
でも、ポンコツでタイヤツルツルの車で悪路の峠を夜越えるのに、彼は不安と恐怖心でいっぱいだったため、事故に遭い、車は修理が必要になります。
また、呼吸の重要性を再認識しました。我々は水や食べ物はなくても数日生きられますが、息ができないとすぐ死んでしまいます。何よりも一番大事だということがそれだけでもわかります。
呼吸には質とリズムと姿勢が大事だとあります。呼吸は非常に奥が深いそうですが、とりあえず、7171の「母の呼吸」だけが説明されていました。それだけでもかなりの叡智に満ちた話でしたよ。
常に意識的に呼吸し、いいエネルギーを取り込むからこそ、不食や断食でも生きられるのです。
自分が一日一食で衰弱した理由がわかりましたし、それがなければ菜食主義ではタンパク質不足になることも理解しました。ちなみに、スーフィーではなんでも食べます。
師は弟子の準備が出来た時に現れる、ということも何度も起きます。彼の師は一人ではなかったのです。
彼もヒーリングの技術とかではなく、自分を知り、神を知ることが大事なのだと気づきます。自分は何も知らないと。そこから本当の理解が始まりました。
師は物語で話します。そこにはいろんな意味が隠されているから、それぞれに必要なことをそこから学べる為です。
理解には4段階あるそうです。
表面的な理解では、戦いの話は過去の歴史的事実としかとらえられません。
寓意的な理解では、それが実は現在のことを表わしていることがわかります。
形而上学的理解では、それが宇宙の法則の一つを表わしていることがわかります。
神秘的な理解では、それらを超越して神とひとつになる直接体験です。
また、音や声の中に愛と智恵が内包されている体験したりしますが、素晴らしいと思われるような非物質体験が実は惑わすものだったりといった体験もしていきます。
回転についても、自分が変性意識に入るためではなく、人類への祈りやエネルギーやメッセージを送るためだと知りました。非常に深くかなり練習が必要なようでした。
自我の意志を放棄しサレンダーして初めて最終的な段階へ進みますが、この体験がまた凄い話でした。
でも、凄い体験のあと、実際には何も起こっておらず、始まりも終わりもなく、創造主と創造された者は一つで、すべては一瞬で、すべてはすでにそこにある、という完璧さを理解します。
そして、師に依存しないよう、著者は師からすぐに帰国するように言われるのです。
宗教はどれもねじ曲げられて伝わってますが、真のイスラム教は素晴らしいものだということがわかりましたし、非常に深い内容に満ちた本でした。
まさか聖母マリアの話まで出てくるとは思いませんでしたが、マリアと一体になることを勧めていました。
神へ至る道はたくさんあるけど、自分の体は聖母マリアだと理解することで、到達できる道もあると。
イエスがなぜたとえ話で話したのか、全てを捨ててついてきなさい、といったのかも理解が進みました。
著者の体験は、自分への戒めや勉強にもなりました。何事にも真剣に取り組むとか、上手くいったとすぐに慢心しないこととかも含めて、いろいろと。
イスラムの聖者の言葉も各章に紹介されていて、非常に良かったです。
とにかく、とてもお勧めの一冊です。
でも、その友人とすぐに会う機会があり、2週間後に別の機会でご一緒することがわかり、本を借りることができたので、ラッキーでした。
サブタイトルは
~スーフィーの教え~
です。
スーフィーとはイスラム教の中の密教のようなものだそうです。
4,5年前にスーフィーという名前を知り、どうも素晴らしい教えらしい、とか、回転の踊りがあるらしい、ということくらいは知ってましたが、詳しいことは知らないままでした。
ダンスで悟りへの道を追求しているのは千賀さん(タオの暗号、ガイアの法則)の「わの舞」がありますし、シャーマンも踊りながら変性意識へ入って仕事したりします。
興味があったのですが、今まで知る機会がありませんでした。
宗教といっても、チベット仏教のゾクチェンの教えのように、スーフィーも誰か教祖に盲信したりするものではなかったです。
神は全てで、神しかいないし我々は一つ、という教えなので、人種や宗教は関係なく、本気で道を求める者には門を開きます。でも、実際は宗教弾圧にあっていて、おおっぴらに集会を行ったりできないので、著者もなかなか師に出会うことはできませんでした。
教え自体は最近のスピ系で言われてることに通じる内容ではありますが、知識で知っていてもそれは本当の意味ではわかってるとは言えません。
それを体験するのにどういうことが必要なのかを著者の探求への旅を通してこの本は示してくれます。
この本の主人公は元々イギリスのヒーラーでした。
でも、スーフィーの修行者はもっと凄いヒーリングを行えると知り、最初はそういった目的で情報を探していました。
(ちなみに、修行者をダルヴィッシュと言います。ダルヴィッシュがメジャーリーガーになるためアメリカに渡る時に麻の葉模様のTシャツを着てたことを思い出しました)
そこでようやくあるトルコ人に出会います。
彼が本気で求めていることを見極めたのちに、師は全部今の仕事や家を手放してトルコに来るように行って先に帰国します。
そこから彼の冒険とも言える波乱万丈の物語が始まります。
主人公はそれまで講演したりするくらいの人でしたが、自分の学んだものをいったん全部捨てない限り、新しいものは入ってきません。それができるまで何度も試練に失敗します。
彼は神秘体験を求め、頑固で、師のいうことが理解できず、不信を抱く時もありました。
厳しい師匠に、ヨガナンダさんの師匠が思い起こされました。どちらも元々とても優しい人ですが、弟子の成長のためには厳しい態度をとることもあるのです。
神に信頼するとは、何も心配する必要はない、と確信することです。
でも、ポンコツでタイヤツルツルの車で悪路の峠を夜越えるのに、彼は不安と恐怖心でいっぱいだったため、事故に遭い、車は修理が必要になります。
また、呼吸の重要性を再認識しました。我々は水や食べ物はなくても数日生きられますが、息ができないとすぐ死んでしまいます。何よりも一番大事だということがそれだけでもわかります。
呼吸には質とリズムと姿勢が大事だとあります。呼吸は非常に奥が深いそうですが、とりあえず、7171の「母の呼吸」だけが説明されていました。それだけでもかなりの叡智に満ちた話でしたよ。
常に意識的に呼吸し、いいエネルギーを取り込むからこそ、不食や断食でも生きられるのです。
自分が一日一食で衰弱した理由がわかりましたし、それがなければ菜食主義ではタンパク質不足になることも理解しました。ちなみに、スーフィーではなんでも食べます。
師は弟子の準備が出来た時に現れる、ということも何度も起きます。彼の師は一人ではなかったのです。
彼もヒーリングの技術とかではなく、自分を知り、神を知ることが大事なのだと気づきます。自分は何も知らないと。そこから本当の理解が始まりました。
師は物語で話します。そこにはいろんな意味が隠されているから、それぞれに必要なことをそこから学べる為です。
理解には4段階あるそうです。
表面的な理解では、戦いの話は過去の歴史的事実としかとらえられません。
寓意的な理解では、それが実は現在のことを表わしていることがわかります。
形而上学的理解では、それが宇宙の法則の一つを表わしていることがわかります。
神秘的な理解では、それらを超越して神とひとつになる直接体験です。
また、音や声の中に愛と智恵が内包されている体験したりしますが、素晴らしいと思われるような非物質体験が実は惑わすものだったりといった体験もしていきます。
回転についても、自分が変性意識に入るためではなく、人類への祈りやエネルギーやメッセージを送るためだと知りました。非常に深くかなり練習が必要なようでした。
自我の意志を放棄しサレンダーして初めて最終的な段階へ進みますが、この体験がまた凄い話でした。
でも、凄い体験のあと、実際には何も起こっておらず、始まりも終わりもなく、創造主と創造された者は一つで、すべては一瞬で、すべてはすでにそこにある、という完璧さを理解します。
そして、師に依存しないよう、著者は師からすぐに帰国するように言われるのです。
宗教はどれもねじ曲げられて伝わってますが、真のイスラム教は素晴らしいものだということがわかりましたし、非常に深い内容に満ちた本でした。
まさか聖母マリアの話まで出てくるとは思いませんでしたが、マリアと一体になることを勧めていました。
神へ至る道はたくさんあるけど、自分の体は聖母マリアだと理解することで、到達できる道もあると。
イエスがなぜたとえ話で話したのか、全てを捨ててついてきなさい、といったのかも理解が進みました。
著者の体験は、自分への戒めや勉強にもなりました。何事にも真剣に取り組むとか、上手くいったとすぐに慢心しないこととかも含めて、いろいろと。
イスラムの聖者の言葉も各章に紹介されていて、非常に良かったです。
とにかく、とてもお勧めの一冊です。