『やれ、エーテル体がどうのとか。
やれ、呼吸法がどうのとか。
それを全て否定するつもりはないけどさ。
専門用語を使えば使うほど、本質から離れていってしまう…って、事もあるかもね。
だって、それは…
智慧ではなくて、知識だもの。
ハートじゃなくて、アタマだもの。
様々な専門用語や知識やテクニックを操る"凄いヒーラーやサイキック"よりもさ。
「あ、おじいちゃんが、お空で笑ってるよ」
って言う子供の方が、楽に簡単に、あたしらとつながるってのは。
そして、人は年を重ねて、あたしらの世界に近づけば近づくほど、子供に還るってのは。
そういう人で、専門的な知識を学んでこなかった人でもさ、智慧を重ねてきた人が、本当の意味で、人を癒すヒーラー…いいえ、「癒し人」なのよね。
そう、本当の「癒し人」ってのは、何らかの方法で、神様の愛を人に与えたり流したり…
そういうテクニックを使える人じゃ無いの。
テクニックを駆使して、人を治し助けるのが悪いって言ってんじゃないからね。
それも、勿論素晴らしい事なのよ。
でも、癒しってのはヒーリングじゃあない。
癒しとヒーリングは別のモノなのよ。
何度でも言うけどね。
どちらが良い悪いじゃなくて、ただ「違う」だけだから。
「違う」ことは「良い悪い」じゃないでしょ?
自分や人の心や身体の具合の悪いところを、神の愛・創造のエネルギーを使って治して幸せになるってのがヒーリング。
ある意味、物理的に身体や心を治す医学もヒーリングよね。
具合の悪いところを変えて、自分の望む形にして幸せになろうよってのがヒーリング。
でも、癒しはちょいと違う。
今のままで幸せだと気づくのが癒し。
赦されている、愛されているんだと気づくのが癒し。
不具合があっても幸せだし、無くなればもっと幸せ。
つまり、不具合が無くなるのを目的とせず、それは幸せになった結果ってのが「癒し」。
対して、不具合を無くすのが目的なのが「ヒーリング」。
例えばね、強引な表現をしたらさ。
癌に罹った時に…
その状態のまま幸せになるのが「癒し」。
ただし、癌が治る事もあれば、治らずに亡くなる場合だってある。
その癌を治す事で幸せになるのが「ヒーリング」。
勿論、治らない事もあるし、治って幸せになるはずが、そうならない場合もある。
ヒーリングは、身体と心を治し。
癒しは、心と魂を救う。
お互いに重なっている部分も当然あるんだけど、別物なのよね。
手順やテクニック、法則などを学んだら、基本的に誰にでも出来るのがヒーリングで。
これは、ヒーラーもサイキックも同じ。
理論的に学んだのか、本能的にわかるのかだけの違いなのよ。
そして、このように誰にでも学べる、身につけることが出来るってのは素晴らしい事なのよ、本当に。
その気になれば、誰にでも人を治すことができるようになるんだからさ。
でも、癒し…癒し人は違う。
これは、テクニックや手順を学んでなれるものじゃあない。
それ以外の何かがいる…いや、何もいらないってのかなぁ。
必要なのは、ただ愛になるって事だけ。
これが簡単だけども難しい。
さて、ヒーラーかサイキックかにかかわらず、ヒーリングってのは。
愛のエネルギーを目的を持って取り扱い、ベクトルを与えてコントロールする事。
その特定の目的とベクトルを持つ愛のエネルギーでクライアントは治してもらう。
で、癒しってのは、愛そのもので。
癒し人ってのは、その愛そのものの人。
その愛のエネルギーってのは、目的もベクトルもなく、ただそこに在るだけ。
ただそこに在るだけの愛で癒される…のではなく、赦されているのに自ら気づく。
癒し人ってのは、特定の何かをするのではなくて、ただ、そこに在るだけで、人にきっかけを、赦されてるのですよと気づかせる人。
そう、マザーテレサの言う
「あなたは望まれてこの世に生まれてきたんですよ。あなたはかけがえのない大切な人なんですよ。」
って事が伝えられるのが癒し人。
だからね、マザーテレサやキリストはヒーラーではなくて癒し人だったのよ。
そばに、必要とされている人のそばに、ただ居ただけ。
そこに、病や不具合が治る治らないってのは無いの。
病や不具合があっても、自分は愛されているんだと気づけば幸せになれる。
結果的に病や不具合が治る事もある。
もちろん治らずに、そのまま亡くなる事だってたくさんあるわ。
でもさ、たとえ亡くなっても、その人は癒されて幸せだったと思うわ。
自分自身よりも、外側からのエネルギーを使い、失ったバランスを治し、良い状態に持っていこうとするのがヒーリング。
自分自身の愛のエネルギーで包み込む事によって、気づきを促し、自分自身を赦す事で、失ったバランスを取り戻し幸せな状態になるのが癒し。
赤ちゃんの笑顔や母親の胸に抱かれて。
癒された、と思う事はあっても、ヒーリングされたって思わないでしょ?
それは、自分自身で赦されているのに気づいたから。
そう、癒されるには自分自身の積極的な関与が必要なのよ。
癒された、赦されたという気づきがいるの。
でもヒーリングは、受け取るだけでいい。与えてもらったエネルギーを受け取る事でヒーリングは起きる。
ここが「違う」。
そう、優劣や上下ではなくて、ただ単に「違う」だけ。
そして、この二つ、ヒーリングと癒しは両立するのよ。
どちらかが良い悪い、正しい間違い、レベルが高い低いでもなく。
どちらか片方しか選べない、のでもなく。
どちらも正しく同等で、しかも両立するものなのよ。
本当に、これだけは忘れないでほしいものねっ!!!
よく、流派や手法の違うグループ間で、そのやり方は間違ってる…とか。
正しいやり方は私の方だ、とか。
そんな危険な方法はダメだ、とか。
本当に繋がってる、宇宙の中心、無条件の愛と光のエネルギーがそんな事を言ったのかしら?
無条件の愛と光のエネルギーが、条件をつけて、アンタらにそんな事を言ったのなら、それは…
他の人じゃなくて、アンタが違うところにつながってるんだって思った方がいいわよ。
もしも、もしも万が一、それが危険なんだとしてもさ。
それそのものではなく、使う人がちゃんと使いこなしていないだけ。
ナイフや車が人を傷つけるんじゃなくて、それを操る人の未熟さが、人を傷つけるのよ。
それもわからずに、アンタのその方法は…とか言ってんなら。
言ってる自分を見直すべきよね。
どうして、人を治したり、状態を良くしたり、癒したりしようとしてる人が、他のヒーラーやサイキック、癒し人と争うの?
自分で自分自身を否定してることに気づきなさい。
バカやってんじゃないわよっ!!! 』
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http://hibiki-yuri.blogspot.jp/
http://spispi-yomoyama.blogspot.jp/
やれ、呼吸法がどうのとか。
それを全て否定するつもりはないけどさ。
専門用語を使えば使うほど、本質から離れていってしまう…って、事もあるかもね。
だって、それは…
智慧ではなくて、知識だもの。
ハートじゃなくて、アタマだもの。
様々な専門用語や知識やテクニックを操る"凄いヒーラーやサイキック"よりもさ。
「あ、おじいちゃんが、お空で笑ってるよ」
って言う子供の方が、楽に簡単に、あたしらとつながるってのは。
そして、人は年を重ねて、あたしらの世界に近づけば近づくほど、子供に還るってのは。
そういう人で、専門的な知識を学んでこなかった人でもさ、智慧を重ねてきた人が、本当の意味で、人を癒すヒーラー…いいえ、「癒し人」なのよね。
そう、本当の「癒し人」ってのは、何らかの方法で、神様の愛を人に与えたり流したり…
そういうテクニックを使える人じゃ無いの。
テクニックを駆使して、人を治し助けるのが悪いって言ってんじゃないからね。
それも、勿論素晴らしい事なのよ。
でも、癒しってのはヒーリングじゃあない。
癒しとヒーリングは別のモノなのよ。
何度でも言うけどね。
どちらが良い悪いじゃなくて、ただ「違う」だけだから。
「違う」ことは「良い悪い」じゃないでしょ?
自分や人の心や身体の具合の悪いところを、神の愛・創造のエネルギーを使って治して幸せになるってのがヒーリング。
ある意味、物理的に身体や心を治す医学もヒーリングよね。
具合の悪いところを変えて、自分の望む形にして幸せになろうよってのがヒーリング。
でも、癒しはちょいと違う。
今のままで幸せだと気づくのが癒し。
赦されている、愛されているんだと気づくのが癒し。
不具合があっても幸せだし、無くなればもっと幸せ。
つまり、不具合が無くなるのを目的とせず、それは幸せになった結果ってのが「癒し」。
対して、不具合を無くすのが目的なのが「ヒーリング」。
例えばね、強引な表現をしたらさ。
癌に罹った時に…
その状態のまま幸せになるのが「癒し」。
ただし、癌が治る事もあれば、治らずに亡くなる場合だってある。
その癌を治す事で幸せになるのが「ヒーリング」。
勿論、治らない事もあるし、治って幸せになるはずが、そうならない場合もある。
ヒーリングは、身体と心を治し。
癒しは、心と魂を救う。
お互いに重なっている部分も当然あるんだけど、別物なのよね。
手順やテクニック、法則などを学んだら、基本的に誰にでも出来るのがヒーリングで。
これは、ヒーラーもサイキックも同じ。
理論的に学んだのか、本能的にわかるのかだけの違いなのよ。
そして、このように誰にでも学べる、身につけることが出来るってのは素晴らしい事なのよ、本当に。
その気になれば、誰にでも人を治すことができるようになるんだからさ。
でも、癒し…癒し人は違う。
これは、テクニックや手順を学んでなれるものじゃあない。
それ以外の何かがいる…いや、何もいらないってのかなぁ。
必要なのは、ただ愛になるって事だけ。
これが簡単だけども難しい。
さて、ヒーラーかサイキックかにかかわらず、ヒーリングってのは。
愛のエネルギーを目的を持って取り扱い、ベクトルを与えてコントロールする事。
その特定の目的とベクトルを持つ愛のエネルギーでクライアントは治してもらう。
で、癒しってのは、愛そのもので。
癒し人ってのは、その愛そのものの人。
その愛のエネルギーってのは、目的もベクトルもなく、ただそこに在るだけ。
ただそこに在るだけの愛で癒される…のではなく、赦されているのに自ら気づく。
癒し人ってのは、特定の何かをするのではなくて、ただ、そこに在るだけで、人にきっかけを、赦されてるのですよと気づかせる人。
そう、マザーテレサの言う
「あなたは望まれてこの世に生まれてきたんですよ。あなたはかけがえのない大切な人なんですよ。」
って事が伝えられるのが癒し人。
だからね、マザーテレサやキリストはヒーラーではなくて癒し人だったのよ。
そばに、必要とされている人のそばに、ただ居ただけ。
そこに、病や不具合が治る治らないってのは無いの。
病や不具合があっても、自分は愛されているんだと気づけば幸せになれる。
結果的に病や不具合が治る事もある。
もちろん治らずに、そのまま亡くなる事だってたくさんあるわ。
でもさ、たとえ亡くなっても、その人は癒されて幸せだったと思うわ。
自分自身よりも、外側からのエネルギーを使い、失ったバランスを治し、良い状態に持っていこうとするのがヒーリング。
自分自身の愛のエネルギーで包み込む事によって、気づきを促し、自分自身を赦す事で、失ったバランスを取り戻し幸せな状態になるのが癒し。
赤ちゃんの笑顔や母親の胸に抱かれて。
癒された、と思う事はあっても、ヒーリングされたって思わないでしょ?
それは、自分自身で赦されているのに気づいたから。
そう、癒されるには自分自身の積極的な関与が必要なのよ。
癒された、赦されたという気づきがいるの。
でもヒーリングは、受け取るだけでいい。与えてもらったエネルギーを受け取る事でヒーリングは起きる。
ここが「違う」。
そう、優劣や上下ではなくて、ただ単に「違う」だけ。
そして、この二つ、ヒーリングと癒しは両立するのよ。
どちらかが良い悪い、正しい間違い、レベルが高い低いでもなく。
どちらか片方しか選べない、のでもなく。
どちらも正しく同等で、しかも両立するものなのよ。
本当に、これだけは忘れないでほしいものねっ!!!
よく、流派や手法の違うグループ間で、そのやり方は間違ってる…とか。
正しいやり方は私の方だ、とか。
そんな危険な方法はダメだ、とか。
本当に繋がってる、宇宙の中心、無条件の愛と光のエネルギーがそんな事を言ったのかしら?
無条件の愛と光のエネルギーが、条件をつけて、アンタらにそんな事を言ったのなら、それは…
他の人じゃなくて、アンタが違うところにつながってるんだって思った方がいいわよ。
もしも、もしも万が一、それが危険なんだとしてもさ。
それそのものではなく、使う人がちゃんと使いこなしていないだけ。
ナイフや車が人を傷つけるんじゃなくて、それを操る人の未熟さが、人を傷つけるのよ。
それもわからずに、アンタのその方法は…とか言ってんなら。
言ってる自分を見直すべきよね。
どうして、人を治したり、状態を良くしたり、癒したりしようとしてる人が、他のヒーラーやサイキック、癒し人と争うの?
自分で自分自身を否定してることに気づきなさい。
バカやってんじゃないわよっ!!! 』
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